雑感55(小栗忠順)
小栗忠順(おぐりただまさ)
という三河以来の幕臣がいました。
外国奉行、勘定奉行、海軍奉行、陸軍奉行といった幕府の要職を勤め、
横須賀製鉄所、兵庫商社、築地ホテル館、フランス語伝習所の設立に関わった。
今風にいうと
外務大臣、財務大臣、防衛大臣を歴任し、
I〇I、〇〇商事、〇国ホテルの社長、〇〇外語大学の学長に就任したという感じでしょうか。
特に
兵庫商社の設立は
坂本龍馬の
亀山社中より早かったそうです。
戊辰戦争においては、
徳川慶喜に徹底抗戦を主張した。
「薩長軍を陸軍は箱根で迎え撃ち、海軍を駿河湾に突入させて艦砲射撃により挟み撃ちにする」
といった内容です。
後に、この話を聞いた
薩長側参謀格の大村益次郎が
「この策が実行されていたら今頃我々の首はなかったであろう」
と言って恐れたそうです。
しかし、
慶喜からは抗戦案を却下され、
小栗は退室する慶喜の腕を掴んで
なお抗戦を主張したが
振りほどかれたそうです。
戦う意思のなかった
慶喜の怒りを買い
御役御免を言い渡され
領地の上野国(群馬県)に隠棲したが
後に新政府軍に捕縛され
たいした取り調べもなく
すぐに斬首されたのです。
戊辰戦争でそれほど戦わなかったことは
日本国にとって良かったと思いますが、
小栗にしてみれば
まともに戦わず
恭順するのは
三河以来の旗本としては
我慢ならなかったのでしょう。
榎本武揚のように
生かして
日本のために
働いてもらったなら
明治以降のさらなる発展があったのでは
と感じられとても残念です。
と、
小栗忠順は
綺羅星のような
実績がある方だと思うのですが、
歴史から消されたというか
あまり有名ではありません。
下手したら
悪役として
扱われています。
そうそう
小栗は
弓の名手だったそうで
十二代将軍家慶の弓術上覧において
皆中(射た矢を全て的に当てること)したそうです。
私のブログのタイトルのひとつ
「正射必中」は
弓道に関する四字熟語ですが、
弓の名手であった
小栗忠順にあやかってます。